意味づけを楽しめると、だいたいうまく行っちゃう


今朝、過去のジャーナルを見直していたら
”いやー、いい事書いてんなぁ、まいったね”
と、図々しくウザさ100%で噛み締めていました。

私は語彙力が乏しいし、文才もないので
実のところ、figのジャーナルは
ただ、その時の自分が感じたことを
そのまま置いてきただけの言葉。

それが時間を経て、
ちゃんと自分に届くと
ちょっと嬉しい。

で、ふとスマホの時計を見たら
10:10。
しかも、それは私の誕生日。

出来過ぎだな、と思ったけど
疑うほどでもなくて、
静かに”おぉ….”と受け取りました。

今朝ちょうど、
なんだか色々と持ち物に意味づけをしたら
面白いよなぁ。と思って
時計に意味づけをしてみたところ。
”君は、成功のシンボルなんだよ。なんちゃって”
とか言って。バカバカしいけど、
気持ちが楽しくなるから。

成功って、
歯がへし折れるくらいに
力を込めた気合というよりも
もうすでに身につけている楽しさを追求したら
そこへ向かっていた。という位が
私にはしっくり来るみたい。

そんなことを瞬間的に思って、
時計の針はまだ10:10を指していました。
その針を見て、
またハッとしました。

これは、完全に…
両手を広げて、
天から何か受け取ってるポーズじゃないのかい?

はい、アホくさい。
だけど、なんだか面白くなった。
自分だけが面白い。
でも、それで良いんじゃないかな。

掴みに行ってない、
閉じてもいない、
ただ開いている10:10の針の形。

”来るならどうぞ”の形。
そこで、ひとつ言葉が浮かびました。

意味づけを楽しめると、
世界もなんだか楽しめちゃう。

それって、
信頼のモードに入ってるんじゃないかなと。

ある程度心に余裕がないと
意味づけなんて楽しめない。

でも、逆に言えば
楽しい意味づけから
心に余裕ができるのかもしれない。

しかも、その意味づけは
固定しなくていい。
飽きたら変えていい。

今日は成功のシンボル、
今日は福の神、
明日はただのお気に入り。

そのくらいの軽さが楽でいい。

そんなことを思いながら
カフェにいたら、
どこかから聞こえてきた着信音が
ミチコ(亡くなった母)が使っていた
あのシャラシャラ鳴る珍しい音だった笑

懐かしくて、
でも不思議と重たくもなくて、
(多分ミチコが、アピールしてんな)
くらいの感じでした。
おしゃべり大好きだったもんね、と。

世界って、
なんかいくらでも面白くなるのかもしれないな。

そう思いながら、
カフェでの仕事を終えて
最終的に何をしたかって、
お昼にいつものパン屋さんで
いつものサンドイッチを買って食べただけ。

特別なんてことはない。
だけど、なんだか心は満たされていて
なんだか色々大丈夫なんじゃないかなって
ただ思えた。

根拠のない
”大丈夫”
それって、こんな小さな遊びから
静かに育っていくのかもしれません。



ー small ideas | 小さなアイデア ー
・今日、ひとつだけ身の回りのものに意味づけをしてみる。
指輪でも、時計でも、マグカップでもいい。
”今日の指輪は、チャンスを見つける役”
”ただのパンだけど、全部必要な栄養になる係”
”このカップで飲むと、今日1日がラッキーday”
アホくさくていい。
誰にも聞こえやしない。
自分だけが面白ければ、それで充分。
意味づけは、
世界との内緒話ということで。



ー ユルフィー的ひとこと ー
「意味なんて、
後からいくらでもつけられるよ。
だったら、
楽しくなる意味を遊ぼう。
どうせなら、
ニヤけるほうを。」

ユルフィー:
あなたのハートに住んでいる相棒。
まいっかと肩の力を抜かせてくれる存在。



好きなものを無心で味わう。
その時、心は”いま”にいる。
それだけで、心は整う。
心が整えば、身体も、未来も整う。
それがマインドフルネス。




